世界は一家、人類は皆兄弟 ★★★ 63点(100点満点)
「アレキサンダー」の公開当初、ギリシャから映画の表現方法に抗議があったとか。そのものずばりアレキサンダーのゲイ描写について。
アレキサンダーに関する知識はあんまりない僕にとって、映画を観たあとにWikipediaで調べて少し知識を補った程度で、アレキサンダーがゲイかどうかの議論には加われないが、ただ、いくつか調べてみると、ゲイではないという説と、バイセクシャルであるという説があるらしく、真相は藪の中。まあ、2000年以上も前の人物がゲイかどうかなんて判らないですな。おそらくこの描写の部分が第一に引っかかるポイント。
もう一つは、アレキサンダー大王を演じるコリン・ファレルについての是非。この二つが論点になることに全く意義なし!この議論は後ほどで、先に映画全体の感想。
アレキサンダーを中心にその人物を描くことに重きを置いた作品。その生涯に渡って描いているため、かなりはしょってる。正直はしょりすぎで歴史に詳しくないと判りにくい。戦いも転機になるガウガメラの戦いとインドの遠征のみ、途中は征服したことだけをかなりサラリと飛ばし気味で描いてます。3時間弱の上映時間の作品にもかかわらず描ききれないのは、生涯を描いた事による絶対的な時間の足りなさで、その生涯を描こうとしたのに無理があったのではと思うんですな。
▽▼ネタバレあり▽▼
かといって、アレキサンダー周辺の人物を濃密に描いたかと言えばかなり疑問で、僕の様なあまり詳しくない人にとっては、周囲と人物との関わりがほとんど判らない。部下・側近との逸話も軽く触れられているんだが、そもそもそれほど脇の人物が深く描かれていないため、それほどの思い入れも生まれてこない。それゆえ単に歴史的事実をおさらいしているようにしか感じられない。
そこで、問題になるのが先に述べたゲイ描写。部下との関係はあっさりと描かれていても、周辺の男性との関係はかなり濃密に描かれてるんですな。監督は必ずしもゲイの映画として描こうとしたわけでもなく、オリバー・ストーンがゲイだという噂を聞いたわけでもなくw、じゃあどうしてゲイをここまで描こうとしたのかを自分的に考えてみれば、アレキサンダー大王の基本理念である「民族の共和」と言う考え、おそらくはそのリベラル的な考えを表現するときに、いかなる者にも寛容なアレキサンダーが必要だったとするのは、想像を逸脱しすぎかな?
そうでもなければここまで描く必要はないんだよね。例えば、織田信長を描くときに、森蘭丸との関係をことさら強調することがそれほど必要かと言えば、そうではないでしょ?多くの作品は無視してるし、それが正解だと思うよ。もう一つこの映画のゲイが強調される結果となった原因は、コリン・ファレル。アレキサンダーを演じるには弱いイメージがあるし、実際に物足りない。アレキサンダーは短気に描かれているけど、威厳がないので、短気さが小者感をにじみ出してしまっているんですな。
劇中にはアンソニー・ホプキンスが演じるアリストテレスがナレーターが語り部として、ストーリーを語るんだけど、インドへの東征から撤退して、バビロニアに帰途につくときに「アレキサンダーはインドで死ぬべきだ」と述べるんだけど、違う意味でオイラは同感。インド東征までで物語を終了すべきだったよ。それ以降が長い長い・・・・クライマックスもインドに持って行かれて、あとは関係のあった部下の死の悲しみに暮れるだけなんだけどね。この辺の描写もゲイ描写には必要だけど、アレキサンダーを描くには必ずしも必要ないともうけどね。せっかく暖まったのに湯冷めした感じ。
芸術作品と大衆作品の狭間に墜ちた作品





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